霞みのむこうに住みたい

毎日のこと、思うこと、つらつら。高卒以上大卒未満で東大大学院に通ってるダミエルです。

20歳になった瞬間を思い出す時に僕が語ること

こんにちは、はじめまして、ダミエルです。

今日は「〜〜〜の日」のちょっぴり残念で、ちょっぴりうれしい、という話。

 

リッキー・リー・ジョーンズという歌手を知っているだろうか。

アメリカのシンガーソングライターで70~80年代を中心に活躍し、

今でも活動は続けている。

キャロル・キングシェリル・クロウは彼女の歌からの影響も大きい、とされている。

ジャズともブルースともつかないような曲調で歌詞も歌声もとても独特、

けだるく子どものような声が魅力的である。

 

歌を聴いた限りは可愛い声で、普通の、少し幼い女性を想像するが、

彼女のこれまでの人生は波瀾万丈だったようだ。

家出、飲酒、ドラッグ。これが彼女の10代だった。

定住せず土地から土地を放浪して、

19歳になってクラブで歌うようになり、

しばらくして事務所がスカウト、

あっという間にグラミー賞最優秀賞を獲ってしまった。

そんな女性。

 

20代まであと数えるほどの日数しかなかった時に、私は考えた。

3月生まれの私は周りが20歳になっていくのを見ていて不思議だった。

彼らは19歳の私と何ら変わりないからである。

幼い頃の私は、20歳になったら何かが劇的に変化すると確信していた。

20歳と言えば、大人である。10代と言ったら子どもである。

私はその劇的に変化する、「何か」、にとても期待していた。

が、実際に19歳になり、

遅い生まれ月の私は周囲が20歳を迎え祝福されるのを見ていて、

まるで賞味期限日が切れる瞬間の卵を見ている気分だった。

期限日を越す24時の瞬間、卵の殻の中では何が起こっているのだろう。

卵にとってはそこには革新的な何かがあるはずなのだ。

成人と未成年のボーダーラインは、

ただ存在するだけの、空っぽの卵の殻のように感じた。

 

20歳になったから、なるからといって若者に問いかけ、

何かを与える大人の気心が知れない。

自分たちはどうだったのだろうか、成人した瞬間に何かを掴んだだろうか。

そうだと言われても、私は嘘にしか思えない。

それでも私にとって20代とは大人になる印象が強い。

段々と大人に近づいていくのか、大人になるとはどういうことをさすのか。

 

私は自分の20代をどうしたいのだろう、と考えた時、

リッキーのようになりたいと思った。

彼女は自己分析がとてもうまい。

自分がどういう人間であるかを熟知している。

70年代後半にリッキーのような歌い方をする人は全くいなかった。

曲調はブルース寄り、使用する楽器はジャズのもの、

歌声はビブラートなしで特に歌がうまいという訳でもない。

しかし、彼女はその歌い方を変えなかった。

 

自分がしたいこともすべきことも明瞭に分かっていたのだろう。

それは人が荒れ果てていると言った彼女の10代から起因するものだろう。

彼女にとって家出やドラッグが失敗だったのか、

成功だったのかは分からない。

だが、それを確実に自分の人生の一部につなぎ止め、

自分の姿を見出し、それを肯定的に捉えて行動できる。

歌いだした19歳からしばらくは暮らしも大変なものだったはずだ。

それでも自分を貫いて20代を過ごした人である。

 

私も20代は、好きなように自分を貫けるようでありたいと思う。

 

と思っていたら、最近24歳になった。

うわー、24だよ。

今年の誕生日も空っぽの卵の殻だった。

そういう感覚が、年々強くなっている気がする。

でも、私、博士課程に進学したのです。

ね、19歳のダミエル、君はなんだかんだ、自分を貫いて生きているよ。

まあ、ここまでも、これからも、大変だけれども。

今年の誕生日も、新年度1日目も、空っぽの卵の殻みたいでした。

それでも。

そんな空っぽに見えてちょっぴり残念な気持ちになっても、ちゃんと卵の中身には、まんまるの満月みたいな、甘い黄身がずっしり居座っているのだ。